東洋からだ研究所 近藤隆
- 出身 … 広島生まれ広島育ち
- 趣味 … 治療術の勉強、読書、飲酒、音楽、映画、草野球
- ストレス解消法 … 笑うこと
- 仕事観 … この道に終わりなし。一生勉強です。
- 仕事のモットー … 体はもちろん、心や気持ちも楽になってもらうこと
- 尊敬する人 … 両親
- 好きなことわざ … 人事を尽くして天命を待つ
東洋からだ研究所誕生の流れ
※興味のある方だけお読みください。約10秒で斜め読めます。
幼少期~青年期
小2で野球を始めるも身長が伸びず中学卒業を機に断念。(中3で130㎝台…ちびっ子でした)
→ 中3時の近藤
未練を断ち切るため野球部のない高校で弓道部に入部する。このころから身長がグングン伸び野球熱が再燃。(結局高校3年間で約25㎝伸びました)
高2時、有志を集め野球同好会を結成し野球部を目指すも、校則により断念。(卒業2年後に野球部になりました)
結局、夏の県予選に出場できず、高校野球を終える。
不完全燃焼の高校野球生活を払拭すべく、自分の活躍を確信し、大学では迷わず野球部に入部。
しかし、甲子園経験者との圧倒的な差を痛感。町内会の野球とはケタが違う…
それでも「いつか必ずレギュラーに!」と自分を信じ、野球に打ち込む毎日。
盆正月以外は野球漬け、練習後は家庭教師やファミレスの夜間バイトに励み、サークル活動、合コン、飲み会という華やかなキャンパスライフとは無縁の大学生活を送る。
ターニングポイント
そんなある日、人生最大のターニングポイントとなる出来事が起きました。
バイク事故を起こし、頚椎部分骨折をする。
「通常なら即死、運が良くて後遺症が残るレベルの事故」と医者に告げられる。
約3か月の入院療養の末、後遺症もなく奇跡的に復帰。
この体験から3つの人生観が生まれる。
3つの人生観
1、生きているし、体が動く。これは当たり前ではない
有り難いの本当の意味は、
「当たり前ではなく、滅多にないこと」
生きている、体が動く、それだけで有り難いことなんだ。
と心の底から実感し、事故以降は、「生きている」から「生かされている」に変わりました。
人間誰しもいつ死ぬか分からない。
頭では薄ぼんやり感じていましたが、事故により明確にガッチリ心に刻まれました。
2、上っ面ではなく、今に感謝する
生かされている上に体が動く。
このことを有り難いと思うようになると現状に自然と感謝するようになりました。
感謝は無理やりするものではなく、自然とするものかもしれません。
物事が上手くいかないとき、今でも考え込んだり悩んだり落ち込みます。
そんな時は「生かされているし、体も動く」を思い出します。
悩みも不安も生きている証だからOK。恥も失敗もOK。体が動く限り、納得するまで何度でもトライすればいい。
だから人生面白いのかもしれません。
3、やりたいことをやる
生かされているし、体も動く。ではどうするのか?
事故の療養中は自問自答の嵐でした。たどり着いた一つの答えが
「一度きりの人生。やりたいようにやる」でした。
これをもう少し分解すると
「自分の気持ちを行動であらわすこと」
難しく考えず、とてもシンプルです。
やりたいことがあるならやればいいし、感謝の気持ちがあるなら表現すればいいし、好きな人がいるなら気持ちを伝えればいい。
しかし、それは簡単にできません。私も未だにできないことが多いです。
特に日常で発生する怒りや哀しみ。それら抱え込むことってとてもつらいですよね。我慢して、息ができないくらい苦しいのなら、勇気を出して伝えたり、動いてみてもいいかもしれません。
相手に直接伝えられないのなら、他の誰かに話すだけでも楽になれるかもしれません。
当院の施術中に、ぜひお気兼ねなくお話しください。心の底から聞きたいと思います。
→ 事故がきっかけで始めたバンド活動
と何やら偉そうなことを言っていますが
事故に合うまでの私は、身勝手、周りへの感謝ゼロ、やりたいことを探さず、やりたいことがあっても理由をつけて行動せず、
人との距離感もうまくつかめず、かといって、一人ぼっちになる勇気もなく。。。煮え切らない日々を過ごしていました。
今ならわかりますが、きっと自分のことが嫌いだったのですね。とはいえ、そのような日々があったおかげで今の自分があることも事実。
交通事故がなかったら、今の素晴らしさに気づくことができず、不平不満を常にまき散らしながら、どこかで野たれ死んでいたかもしれないと本気で思います。
鍼灸との出会い
交通事故がきっかけで考え方と生き方が180度変わりました。
今まで両親から愛情をもらい、友人から友情をもらい、どれだけたくさんの人に支えられてきたのか…
「いつか誰かや何かの役にたつことができたら。。。」
そういう思いが徐々に強くなっていきました。
大学卒業後は、昼は営業マン、夜はバンド活動ととても充実していましたが、日々を送るうちに
「直接的に人の役に立つ仕事をすること」
が明確にやりたいと感じるようになり、営業職のかたわらずっと探し続けていました。
「やりたいこと」。。。
これがまた探すといっても簡単に見つからないのです。。。手あたり次第、とにかく興味のあるものに片っ端から触れていきました。
何か見つかった時すぐ動けるようにお金だけはコツコツと貯めていました。
探し始めて数年後、地元の鍼灸専門学校の体験説明会で、どうやってもよくならなかった慢性腰痛が瞬間に改善し、衝撃を受け「これだっ!」と直感し、貯金を全額投入し入学を即決しました。
修行時代から東洋からだ研究所開業まで
目標は「一流の治療家になること」
3年間の学生生活を終えると同時に、「修行するなら東京」と上京。
上京当時はほぼ無一文でしたが、不思議と不安はなかったです。(当時の全財産が5万円だったことを思うと今は怖い…)
都内の治療院で7時~23時まで働き、休日は他の治療院でバイトや、治療術の勉強会に参加。
ほぼ休みは無く体力的にきつかったですが、学びを渇望していたので、充実した日々を送ることができました。
2009年12月、東京都中野区にて東洋からだ研究所を開業。
開業後も、都内の自律神経の乱れを整えることをメインにした自費の病院(湯島清水坂クリニック)で週二日ほど勤務し、自律神経を整える施術を研鑽してきました。
有り難いことは、現在まで口コミと紹介だけで成り立ってきたこと。
これもご縁のあるクライアントさんのおかげです。
上京当初の目標であった「一流の治療家になる」
一流とは一体?
何をもって一流というのか?
それは今も模索中です。
もしかしたら、答えはないのかもしれないし、無数にあるのかもしれません。
クライアントさんにご来院していただき、日々治療術向上のため勉強するうちに、
今はそこに主眼を置いていません。
クライアントさんの役にもっともっと立つこと
今はこれだけを考えています。もっと役に立つにはどうすればいいのか?何を勉強すればいいのか?
体が楽になってもらう施術を提供することは当たり前。だから施術向上のための勉強は努力でも何でもなく、やって当たり前のことです。
それ以外で、自分は何をすればいいのか?何ができるか?
このようなことをいつも考えています。その中から生まれた当院の信念があります。
それは、クライアントさんを応援すること
ご縁のあったクライアントさんをとにかく応援する。では応援とは何か?
具体的にどうこうするとは説明できませんが、
こちらの一方通行でOK。声を大にして伝えることはありません。
「いいようになるといいですね」
「願ったようになるといいですね」
と心の中でいつも思いながら施術しています。
数ある治療院の中から当院を選んでいただいたクライアントさんの役にもっと立てるよう、治療家、人間として向上するため精進します。
あなたとのご縁を楽しみにしております。
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